1792 寛政 長府藩主毛利匡芳、長府裏侍町に藩校敬業館を設立
1862 文久 藩士福田扇馬、家塾桜柳亭を設立
1864 元治 藩士熊野直介中心となり、集童場を設立
1865 慶応 集童場を敬業館に吸収合
1875 明治 併敬業館の学統を継ぐ豊浦学舎を侍町元御客屋跡に創設
1880   豊浦学舎を県立豊浦中学校に改め、熊谷俊一校長となる
1884   山口中学校豊浦分校と改称
1887   豊浦高等小学校別科と改称
    豊浦学校と改称
1890   私立豊浦学校と改称
1897   山口県尋常中学校豊浦分校と改称
1899   山口県山口中学校豊浦分校と改称
    山口県豊浦中学校と改称、石原初太郎、初代校長となる
    開校式を挙行、以後10月15日を開校記念日と定む
1900   校友会発足
    第1回運動会
1901   第1回卒業式挙行(卒業生20名)
    山口県立豊浦中学校と改称
1903   校旗制定され、校旗式を挙行する
1907   乃木将軍来校し、講演す
1919 大正 野球部山陽大会に優勝、鳴尾大会(甲子園大会の前身)に出場
1921   乃木将軍の無銘碑完成
1923   山口県立長府中学校と改称
    同窓会発会
1928 昭和 朝鮮旅行(釜山・京城・平譲)実施
    後援会(のちの父兄後援会)発足
    校歌(作詞高野辰之、作曲信時潔)を発表
1929   最初の満鮮旅行実施
1930   図書館完成
1931   校名、山口県立豊浦中学校に復旧
1932   校訓三綱を発表(至誠一貫、進取向上、自治協同)
1942   射撃部、橿原神宮大会で全国優勝
1944   学徒通年動員始まる、以降終戦まで3学年以上は工場へ出勤)
1946   生徒自治会を開催
1947   「豊中新聞関見台」第1号発行
1948   山口県立豊浦高等学校と改称
1949   長府女子高等学校と統合し、山口県立下関東高等学校と改称
    生徒会結成、桝谷利男会長となる(現東京豊浦会々長)
1950   第2回高校新聞コンクールに優勝
1951   「下関東高同窓ニュース」発刊
    新校章使用
1953   事実上男女別学となる(豊浦学舎に男子、長府学舎に女子)
    硬式野球部,西中国大会に優勝、甲子園大会に出場
1954   下関東高等学校を解消、長府高校と分離し、豊浦高等学校と改称
1956   プール完成、プール開きを挙行
1957   校舎改築第1期工事(物理・化学教室)完工
    静岡国体で体操競技部鍋井邦久、高校男子個人種目別徒手で優勝
1958   60周年記念同窓会名簿完成
1959   校舎改築第2期工事完工
    川口隆太郎校長胸像除幕式挙行(60周年記念事業)
1960   校舎改築第3期工事完工
1962   硬式野球部が春の選抜高校野球大会(甲子園)へ出場
    吹奏楽部結成
1963   山口国体へ本校から19選手参加
1964   東京オリンピックで花原勉(34年卒)レスリングに優勝(現東京豊浦会副会長)
    「豊浦高校沿革史」完成
1968   体育館落成
1974   旧講堂解体
1975   豊高第1回競歩大会を実施(33km)
1979   硬式野球部が夏の甲子園大会に出場、第1戦(対長岡高)に勝つ
    開校80周年記念式典挙行、薬研堀改修
1980   生徒急増対策として男女共学実施問題が起こる
1986   校舎増改築工事着工
1987   校舎増改築工事完工
1989   90周年記念事業としてロータリー整備及び校訓3綱碑建立
1992 平成 敬業館200周年記念行事(第9合同演奏など)を市民館で挙行
1993   本校外塀(国道側)の白壁改築工事に着手
1994   グランド改修工事完成
1995   理科・家庭科特別教室棟改築工事完成
1996   外塀(国道側)の白壁改築・校門新設工事完成
    グランド防球ネット設置工事完成
1997   硬式野球部が春の選抜高校野球大会に出場
1998   創立100周年記念事業として「豊浦高等学校100年史」編纂事業に着手
    バスケットボール部が10年ぶり15回目のインターハイに出場
1999   創立100周年記念式典を挙行、各種記念行事を実施
     
 
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